友情結婚から離婚、現在に至るまでにどんな出来事があったのか。時系列に沿って一挙おさらい。

2023-10-04

~(X+8)月

私:あやのコロナ罹患、祖母の死など。
仕事では、リーダーを担っていた大型プロジェクトが本格始動し多忙に。

後から思い返せば、ストレス要因となる出来事が幾重にも重なり、一番疲弊していた時期だった。

挙式も控えており、準備を進める中での元夫とのコミュニケーション難、自分がきちんとしなければというプレッシャー、進めなければならないタスクも山積。

一方で離婚という選択肢も日に日に大きくなってきていた。
離婚も選択肢として考えて始めている旨は、タカにも正直に打ち明けていた。

このとき、タカからは離婚の意志は無いとの断言。しかし、自分はよくても私が苦しんでいるのは事実。そのあたりは時間をかけてもいいからよく考えてみて欲しい、と伝えた。

挙式という一大イベントを中止(orに延期)するべきか。しかし、挙式の中止とは殆ど離婚を意味するのではないか。周囲への説明無く、なかったことにするのは現実不可能。自分ひとりが我慢し、何事もなかったように挙式さえ乗り越えれば、タイムリミットに支配されずに落ち着いて考えることができるのではないか。

こんなことが四六時中頭から離れず、相談できる相手もいない。いつしか眠ることもできなくなっていた。

私は普段から5年日記を書いているのだが、この頃は1ヶ月ほど、空白の時期が続いている。
5年の間で、全くの空白のまま残っているページ(というよりは、枠、といったほうが適切か。)は殆どなく、どれほど余裕が無かったのか、自分を見失っていたのかと言うことを物語っている。

(X+9)月

タカとのコミュニケーション難から、ある日の夜、タカと顔を合わせたとたん過呼吸に陥った。
限界を感じ、その週末、初めて母に状況を打ち明ける。

新婚でもあり、周りからは幸せな夫婦像を期待されているはず・・・。その期待(?)に応えられる自分でいたいと、この時まで誰にも相談できずにいた。今から冷静に考えれば、私が一人で抱え込んで苦しんでいることが、周囲の期待とは真逆の方向に突き進んでしまっていたということなのだが。。

母に相談し、翌月に予定していた挙式も中止を決断。

その翌週、私は手術のために数日間入院。
(もともと数ヶ月前より予定していたことで、健康には問題ありません。念のため)

正直に言うと、タカから離れられることに心から安心している自分がいた。
そして、入院中は定期見回りもあり優しく声掛けをしてくれる看護師さんたち。
「大丈夫ですかー?」「なんでも言ってくださいね」「何かあったらすぐに呼んでくださいね」
彼らは仕事だというのに、タカとは比べられない温かみを持った声をかけてくれる・・・。たった一言なのに、看護師さんが去った後に一人で涙してしまうこともあった。

(X+10)月

タカの顔を見て過呼吸になってしまうことから、業務連絡のみLINEで。
幸い、私とタカの業務時間が絶妙にズレていたこともあり、帰宅時間などを連絡することで、顔を合わせないように2週間程度の家庭内別居生活をつづけた。

しかし、タカが在宅勤務である以上、この生活にも限界がある。
相談の上、別居を始めることに。

ここ数ヶ月で、私は離婚の強い意志を固めていた。もう、これ以上は無理だと・・・。

タカはまだ離婚したくないとのことであったが、別居することでゆっくりと時間を取り、検討してもらう約束とした。さすがに、人生を賭けた(一生の経歴として残る)大きな決断を押し付けるわけにはいかない。

最終決断まで至らなくてもよいから、3ヶ月以内には、考えたことを連絡してもらうということに。
離婚しないなら、今後の解決策を必ず提示することを条件に。

このあたりは、期限や考える内容などを明確に提示しないと永遠に先延ばしにしたり、結論だけを述べてくるASD(タカの場合)の傾向を把握して時間の無駄にならないように注意して・・・。

この頃には、だいぶタカとのコミュニケーションのコツは身に着けていたが、努力が必要なことには変わりない。


一方で、仕事の面。

プライベートが崩壊している分、仕事では成果を出したいと意気込む。幸いにして、プロジェクトリーダーとして頼られている実感はあった。
しかしそう上手くは行かないもので、残業量は増加、プレッシャーもあり、不眠症は悪化していくばかり。

ある月曜日。ついに、会社に行けなくなってしまった。

過度なプレッシャーからの動悸が酷く、朝起きあがれない。
出社することへの強い恐怖感。結果として、連続して3日間の休暇をいただくことになってしまった。

これを機に、産業医の紹介を経て、精神科・心療内科への通院を開始。
しかし、休職などという結末が待っているとはこの時にはまだ思ってもいなかった。

※この医師との相性が究極的に悪く、のちに症状を極端に悪化させるほどの悩みを抱えることになる…。
最終的には、転院することになりました。
経緯についてはこちらの記事:"病院に行けなくなった話。精神科医師との相性はとても重要だということ。" に詳しく書きました。

(X+12)月

設定した検討期日からは少し早いが、タカより離婚の申し出があった。
諸々の話し合いの後、離婚が成立。

たった1年間、365日に若干満たない期間での離婚となり、お祝いしてくれた親族、会社の方々、友人、etc.。
みんなの顔を思い浮かべると、なんとも情けないというか、申し訳ない気持ちになって仕方がなかった。