コロナ療養中に感じた ASD 夫との心理的距離
見えない期待値の存在
夫の行為に対して感謝はするが、悲しいかな嬉しいという感情が生まれない😢
対して、職場の方々からの好意に対しては、感謝だけでなく大きな心遣い、してくれたことに対する嬉しさを感じるのです。
この違いはなんなのか?
まず一つは、さらっと上に書いた通り、「行為」と「好意」の違いがあると思っています。
タカがしてくれたことは、ある意味当たり前の「行為」であり、職場の方々の差し入れや気遣いは、本来しなくてもよい当たり前を超えた、好意による「行為」だからだと思うのです。
そして二つ目。夫、パートナーという存在に対する期待値の存在です。
夫には、「必要な時には助けてくれる」ことは当たり前だという無意識の期待値があります。
ですので、期待値αに対してαのことをしてくれたので、当然感謝はするけれどもそれ以上の気持ちは無い。
職場の方々は当然私に対して何かしてくれる必要はなく、何の期待値もありません。
そこにαの行為(感覚としては夫以上に私の病状を考慮してメッセージやラインを入れてくれたのでさらに+β)を働かせてくれたので、夫と比べて評価点がかなり加算されてしまい、夫が見劣りしてしまう。という虚しさも。
夫よ、精一杯頑張ってくれているのはわかっています。
気持ちが追い付かずごめんね😢
では夫はどういう思いで世話を焼いてくれているのか?
夫に聞いてみた。
私に対して看病してくれていることに、「貸しを作っている」「してあげている」ように感じている?
夫の答え。
「自分がやっていることはこれでいいんだな。という感覚」
だそう。ちょっとよくわからなかったのですが・・・。
元気になったらやってあげた分返してもらわないと、のようにはどうやら思われていないようです。
一方で、自分が看病される立場だったら、「頼ることへの後ろめたさは感じてしまうと思う」とのことでした。
その後ろめたさがお互いに無くなれば、パートナー(少なくとも友人以上の結びつき)という関係性になったといえるのかなと私は考えています。
してくれることに至らない点が多かったとしても。
傍で寄り添ってくれる人がいるという安心感。これがなにより私が求めていたことでした・・・
おまけ)ASDに立ち向かう夫
上記のことなどから寂しさを感じたこと。家庭外の人たちからのほうが心配の気持ちや心遣いを感じたこと。
夫とも共有しました。
単刀直入に。「症状が辛そうな私をみて、心配する気持ちはある?」
ちょっと考えた後に、
「さすがに心配はしていると思う」と。
他人だけでなく、自分の感情にもアクセスすることが難しいというASD。
不安を助長する返答ではあったのですが、きっと少しは心配してくれているのね・・・と、
その場はお開きにいたしました😔
夫にとっては、30年生きてきた人生すべてがASDありきの世界。
この感情にアクセスする手段、心理的結びつきこそが恋愛感情のなせる業であり、友情結婚を選んだからにはそれは必要ないんだ、と信じていたそうなのです😱
恋愛感情が無くてもこの精神的繋がりを持てるパートナーが欲しくて結婚の道を選んだ私。。
そう都合よく上手くいくとも思えませんが、セクマイ事情を理解しあえた上で深くお付き合いできる友人、またパートナー作りに一歩踏み出していきたいです。
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