元カレに振られた話。
実はここ半年ほど、だいぶ前の元カレと何度か会っていた。
当時は、アセクシャルという言葉に出会う前。
人としては好きで尊敬していたが、諸々のすれ違いが重なってお別れしてしまったのであった。
離婚したこと。休職したこと。
それらの孤独感に耐えられなくなり久しぶりに連絡してしまったことがきっかけで、たまに会うようになった。
ただ会ってご飯を食べ、近況報告をして解散。
そんな、デートとも呼べないような、旧友との定例会のような時間が、休職中の密かな楽しみでもあった。
パートナー関係になること、なんらか自分の近くにいてくれる特定の人として関係を築けるのではないかという期待が大きかったことは否定できない。
そんな彼が、転勤になったと連絡をくれた。
引越し準備で忙しい合間にも、時間を作ってくれた。
ここ最近の出来事、始めたこと、etcたわいないことを喋る。
話が尽きないことは無く、楽だなあと思う。
たくさん話をした。今思えば、自分の話を聞いてもらっているばかりだった気もするけど。
その帰り、手を繋がれた。うちの中でも、手を繋いだりハグしたり。
これは、そういう気があるのだろう、と完全に期待した。
これを逃したら機会は無い。
そう決心し、アセクシャルであることをカミングアウト。
交際には発展しなかったとしても、彼なら、受け入れてくれる人間性は持ち合わせていると思った。そのうえで、やり直してみたい旨を伝えた。自分でもびっくりするくらい、積極的だったと思う。
だけど、全てを失ったいま、断られたとしても、独りだという自分のステータスが変わるわけではないし、これ以上落ちることはない。結果として受け入れてもらえたなら万々歳。そのまま離れて後悔するほうがもったいない。そのくらいの気持ちで、意を決した。
が、結果から言えば、完全に振られた。「お付き合い」という関係性は考えていないと。
正直、これからも関係性が続くことを期待してしまったのでかなり落ち込んだ。
友人としての関係でいましょう、と。
そのまま別れてしまったけれど。
よくよく思いなおせば、別にそれで関係性を完全に切る必要もないし、結婚というゴールが見えていなかったのは今までだって同じこと。
冷静に考えれば、一度上手くいかなかった元カレとやり直すのが本当にいいのかと考える瞬間が無いわけではなかった。
自分のことをわかってくれていて楽で、この先自分のセクシャリティも含めて受け入れてくれながら付き合ってくれるのは彼しかいない、それが無ければもう自分にパートナーができる可能性など無いのではないかと思い込んでいた節がある。
友人のままでいようと言ってくれたのだから。
また遊びに行けばいいし、気軽に連絡を取ればいい。それだけじゃないか。
正式なパートナーという関係性にならなくても、頼っていいと言ってくれた。彼にも今は特定の相手がいるわけじゃない。ここでも、世間でいうところの「お付き合い」という関係性に囚われている自分がいるなと思わされた。
人生、切り替え。
スパっと断ってくれてよかったじゃないか。
うじうじしていたら、あっという間に30代も後半になってしまいそう。人生を楽しく過ごすにはどうすればいいか前向きに考えないと。
パートナーがいないと不幸せ?結婚していないとみじめ?やっぱり、そういう昔ながらの価値観、他人からの目線に縛られている自分がいる。
独りのほうが、悩まなくていいこともたくさんあるし、余計な心配、労力をかける必要もない。
ストレス要因が他人からくることもない、はず。
自分のストレスや心配事を聞いてくれる人がいないかもしれないけど。
自分が結婚したいと思っているのはそこ。愛情が欲しいのだ。自分のことを思ってくれる人がいてほしいのだ。
だけど。結婚しても上手くいくとは限らない。余計にストレスを抱えることになるかもしれない。
痛いほどわかったはずじゃないか。
なのに、そこにしか幸せは無いと思い込んでしまっている。
うつになっても、同じ自分を手放せない。人生の考え方を変えることができない。
病気を経験したり、休職を経ることで考え方が変わったという人がたくさんいる。無理をしないで生きること、開き直ることができるようになったという。
だけど、私にはまだそれができる気がしないのだ。頑固すぎるのだろうか。プライドが高すぎるのだろうか。
どうしても、自分が幸せならそれでいいとは思えない。