人間関係の深さと、感情の関係について。久しぶりに自分の中の怒りを感じて考えたこと。

今回の話の前段にあるのは、うつ症状の治療で通っていた主治医と合わず、いろいろな感情と向き合い続けた日々。
主治医とのあれこれについては、こちらの記事:"病院に行けなくなった話。精神科医師との相性はとても重要だということ。"に書いています。

ある日ふと思った。

いつも私の仕事ぶりを見ている人たちに、「説明がわかりづらい」と言われたなら。
きっとショックは受けて落ち込むと思う。だけど、怒りの感情は生まれないのではないかと。

私は割と普段から自責感が強い方で、少しでも何か言われると、反発するというよりは自分の出来が悪かったことを悔やむほうに傾きがち。
人に対する怒りや、嫌いだという感情が生まれることって、そういえばあまりないかもしれないなと。

そして、イライラすることと、怒りの感情とはまた違う。
自分が信頼している相手には、イライラすることはあっても、怒りの感情を持つことって、殆どないかも。

指摘された、その事実だけを切り取って受け取ることができるからだろうか。
同じことを言われたとしても。
あまりよく知らない相手だと人格否定されているように感じるけれど、自分が信頼できている相手なら、ちょっと受け取り方が異なるような気がする。


でも、どうだろう。
あまりそこまで強い非難を浴びた経験が無いので何とも言えないが。

やっぱり、強い拒否感を持ってしまうものだろうか。そして、たった一言でも、そう簡単には修復できないような溝はできてしまうものだろうか。

改めて、人間関係の大切さ、そしてコミュニケーションの大切さを考えさせられた。



人を傷つけるようなことは言いたくない。

ブログのような非対面で発信している以上、そういった発言をしてしまうかもしれないし、間違った受け取られ方をしてしまうかもしれない。

だけれども。
少なくとも1:1、対面でのコミュニケーションにおいては、知らずに人を傷つけ続けるようなことはしたくない。

過ちを犯したら、すぐに気づいて謝罪できる、そんな人でありたいと思う。



先輩が私にかけてくれて嬉しかった言葉。

「まずは、あやの心の平和を一番に考えよう。休職始めてからも(通院)頑張り続けちゃってたんだし、そろそろ自分のわがまま聞いてあげよう!」

「真面目で素直なのはあやのいいところなんだけどね。私が治したほうがいいのは、気が回る故の気にしすぎなとこであって、対人関係はまったく問題なし!」


自分が苦しみ続けてでも、人のことばかりを考えてしまう。
人からの評価を過剰に気にして、誰からも嫌われないようにふるまおうとする。
だけどそんな自分の性格が嫌いじゃないから、自分が楽になれるとわかっていても、なかなか変わることができない。

でも今回思い知った。
自分が無理をしすぎて壊れてしまったら、余計に周りに迷惑をかけることになる。
周りから期待されているであろう自分の像に近づくどころか、大きく転落してしまう。

何事も、バランス。
うまくやれるようになりたい。二度と同じ過ちは繰り返したくない。

この経験を無駄にはしない。

そして、今受け取っているたくさんの感謝を、絶対に、忘れない。