【休職4.5ヶ月目】落ちている時は、今がどん底だとわからない。

今週は通勤訓練(の練習)をやってみることにする。

まずは8時間の外出までは課さないけど、通常の出勤時間までに家を出てどこかに行く、ということだけでも試しにやってみたいと思う。

正式に復帰準備段階に入ったら、報告義務も発生するし、いきなり始めてできなかったらショックを受けそうな気がするので…。
とりあえず自由に調整できる今、自分がどのくらいできるのか、感覚だけでも掴んでおきたい。

初日の今日は、朝は起きられたので自転車で隣町まで。 朝6時ってもうこんなに暗いんだなあ…。

最近は8時頃まで起きないことが多かったから知らなかった。そういう感覚も、通常の通勤時と離れてしまっているようで悲しい。普通だったら、10日以上崩れた生活を続けることなんてないから。。

カフェで漫画を読み、気になっていたパン屋さんへ。
海辺まで行って朝パンを食べ、再びカフェで漫画と動画鑑賞。 早起きすると、時間がたっぷりあるように感じられる。

帰宅するとどっと疲れが出た。それでもまだ14時。
18時まで外出訓練することを思うと、まだ長いと思われ不安になってくる…。
疲れると目が開かなくなってくる。体力を振り絞って再び街歩きへ。それなりに楽しいが、帰宅すると疲れが…。

それでも、まずは1日できたことを褒めよう。たった1日だけれど。1歩ずつ。。


そして今日は、いくつか大事なことに気がついた気がする。

先週から比べてだいぶ精神的に落ち着いてきた自覚があり、そうすると落ちていた時の自分を冷静に見られるようになる。 落ちている時は、人に助けを求めることすら怖くなってしまうんだ。 連絡を入れたら迷惑に思われるかもしれない。面倒だと思われるかもしれない。気を使わせてしまうかもしれない…。

本当は寂しくて仕方がなくて、誰かに話を聞いてほしいと思っているし、その寂しさに押しつぶされそうなほど辛い。そんなときに誰かから連絡が来たらものすごく救われた気持ちになるし、嬉しい。 だけど反面、自分から連絡することができなくなってしまう。いつもよりも誰かと喋りたいのに、喋ることを遠ざけてしまう。怖がって避けてしまう。 そして、自分から連絡したいと思うのは、結構調子がいい時だけなんじゃないかと言うこと。

普通以上の状態にあるときに連絡を取ることが多いように思っていたけど、実はかなり良い時にしか連絡しようと思えないのかも。むしろ、良い時は積極的に連絡したいと思える。 良い時も悪い時も、誰かと話したいのは同じなのだけれど。。

これに気づいたのは、今更だけどひとつの新発見。

2つめ。 自分が落ちている時は、今がどん底に落ちているときだということがわからない。 だけど、いざ上がってきて振り返ってみると、あの時はつらい場所にいたんだと何故だかわかる。

落ちているときにはわからないものなんだなと。 今が底に近いから辛いんだということもわからないし、いつ抜け出せるかもわからない…。上がってきてやっと、ああ落ちてたんだってわかる。 今がかなり良い方まで振れているのか、まだ波の途中なのか、このまま安定してくれるのか。 自分でもわからないのが不安でもあるけど、それを観察していくのもまたこれからに向けて大事なことなのかなと思う。

つらいときに、今は辛い時なんだとわからないのはめちゃくちゃしんどいのだけど…波をかなりはっきりと自覚できた、そんな1週間。

3つめ。 経験者の話は、やはり何よりも心強い。
職場では、いつも気にかけてくれる休職経験者の大先輩Aさんがいる。誰かに連絡するのが怖くて仕方がなく落ちてしまっている時。どうにもならなくなったらAさんに頼れば良いと思えていることは支え。
Aさんなら、恥ずかしいと思えることでも、面倒だと思われるようなことがあっても受け入れてくれるんじゃないかという不思議な安心感がある。
他の人でもきっと同じように心配してくれたり、支えになってくれるのだろうけれど、ある程度、こうすべきという知識で対応してくれるんだろうと思ってしまう。
それは当たり前のことだし、むしろそうしてくれることに心からの感謝を持つべきなのに、どうしても心は恐れてしまっている。

経験者でないからといって信頼度が下がるというのは癪だと思うかもしれない。自分だって、精一杯の心配と気配りをしてもそういうふうに言われたら悲しい。 だけど…これって何にでも言えることだし、人間の心理から言って仕方がないものなんじゃないかとも思う。

打合せや会議で、私が何か言っても聞く耳を持ってくれないのに、年配のBさんが全く同じことを繰り返したら一発で納得されたりする。社内でも有識者と名の通るCさんが言ったら場が収まったりする。
毎回悔しいと思うけど、それはそれで仕方ないのかなと思わざるを得ない。それと同じようなものなのかなと…。ちがう?